アサヒビール
アサヒスーパードライ
キリっと辛口で美味しい缶ビール、お酒を嗜む人はご存じではないでしょうか?
アサヒビールは明治22年(1889年)大阪・堺の酒造家である鳥居駒吉氏や・実業家の松本重太郎氏らによってアサヒビールの原点である「大阪麦酒会社」として創立されました
アサヒビールの名は朝日昇天のような発展を願って名付けられたそうです
大阪麦酒の創業から3年目の明治25年(1892年)に大阪・吹田市に大阪麦酒吹田村醸造所で誕生します
現在でもアサヒビール吹田工場として稼働しています
アサヒビールは日本初が多い!!
*明治33年(1900年)びん入り生ビール・アサヒ生ビールを発売
*昭和44年(1969年)日本初のビールギフト券を発売
*昭和46年(1971年)アルミ缶入りビールを発売
今日では当たり前のように感じる瓶入り・缶・ましてやギフト券等もアサヒビールが日本初だったんですね
発想力や開発技術もさることながら、ビールに対しての情熱を感じます!
回転ずし
今では手軽に美味しいお寿司を頂けるようになったのは回転ずしが誕生したお陰ではないでしょうか?
もとは大阪府東大阪・布施にある「元禄」という名の割烹料理屋から始まります
元禄は天ぷらを主とした割烹料理店で、当時はツケも多く儲けも少なかったそう
地域柄、寿司への要望が強く寿司屋へ転換していきます
寿司屋へ転換した後は順調にいく一方、職人不足に悩まされる事に・・・
そんな折に大阪・吹田にあるアサヒビール工場へ見学に行った際、ベルトコンベアに流れるビールを見てヒントを得ます
試行錯誤の上、1957年に「コンベア旋回式食事台」が完成
翌1958年4月には「廻る元禄寿司1号店」が誕生します
1970年の万博に出展したことで一気に知名度が上がり、全国に広がりました
その後全国展開していた元禄寿司は目が行き届くようにとの事で、今では近畿一円で営業しています
回転寿司のベルトコンベアは石川県がほぼ100%のシェアを誇ります
その内シェア60%は石野製作所です
*自分の席でお茶をいれられる自動給茶装置付き寿司コンベア
*透明カバーを取り付けたクリアルーフ付きコンベア
*注文品をいち早く届けられる特急レーン etc.
折る刃式カッターナイフ
主に刃の先端で作業する事が多いカッターナイフ
切れ味が悪くなると刃を折って新しい刃の先端を使ってまた作業が出来る
とても便利である意味エコな使い方が出来るカッターナイフは今では当たり前・・・
そんな便利なカッターナイフを作ったのは大阪のオルファ株式会社です
創業者である岡田良男氏が1956年(昭和31年)に折る刃式カッターナイフの第一号を作ります
これは世界初でもあり世界中のカッターナイフでトップメーカーとしても知られています
名前のオルファ・・何かお気づきではないですか?
そうオルファの名は折る刃にちなんで名づけられているんです!
大阪らしいユーモアたっぷりです( *´艸`)
カレー!!
大阪はカレーの町と言ってもいいほどカレーにまつわる初が多いんです!
カレー粉
日本初となるカレー粉を作ったのは1845年に大阪で薬種問屋大和屋として創業したハチ食品です(大阪市西淀川区)
当時大阪港より輸入された漢方薬をもとに1905年に日本で初めてとなる国産カレー粉「蜂カレー」をつくりました
また食品メーカーとして大阪港とも関係があり「大阪港カレー」を開発し製造しています
インスタントルウ
1926年(大正15年)にハウス食品(現在の大阪・中央区瓦屋町)が、カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分などを固形化した「インスタントカレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で発売します
固形カレールウは、1954年(昭和29年)にエスビー食品が初めて発売しました
レトルトカレー
1968年2月に大塚食品が阪神地区限定で、世界初の市販レトルト食品を販売します
3分温めるだけですぐ食べられるというキャッチフレーズで売り出されたその名もボンカレー
関連会社の大塚製薬の技術を生かして半透明パウチを開発しました
今でも大人気のあのレトルトカレーがなんと世界初だったとは驚きです
ボンカレーの値段は当時一袋80円でした
当時レストランで食べるカレーの値段が100円位のを考えるととても高かったんですね
アイリスオーヤマ
今ではリーズナブルな価格・シンプル設計で家電や収納用品など生活にかかせない商品で人気のアイリスオーヤマは大阪が発祥の地なんです
東大阪でプラスチック加工の町工場で大山ブロー工業所がはじまりです
1989年に本社は宮城県仙台市に移転
1991年9月に現在のアイリスオーヤマ株式会社に商号変更しました
モノづくりの町・東大阪は日本を誇る技術やエネルギーがたくさん詰まっている町ですね
魔法瓶
1909年日本に魔法瓶が初めて輸入されます
僅か2年で国内初の魔法瓶が生産されました
そのわずか2年後、1912年(明治45年)、日本電球に勤務していた八木亭二郎氏は電球製造の真空技術を応用して国産第1号の魔法瓶を完成させます
その後八木魔法器製作所を作り起業
それ以降は大正~昭和に数多くの魔法瓶メーカーが登場し、優秀なガラス職人が集積していた大阪が、その中心地となった
大阪はガラス工業が盛んで優秀なガラス職人がたくさん働いていました
第一号の魔法瓶の登場により数多くのガラス工業が参入
現在でも象印マホービン・タイガー魔法瓶などの大手の企業が大阪を本社としています
宝くじ
歴史上最古の宝くじは、約2200年前の紀元前206年、漢の時代の中国と言われています
劉邦の軍師を務めた張良という人物が実施した白鳩票で、万里の長城を建設する財源確保のためだったとか
一方日本での起源は、さかのぼること天正年間(安土桃山時代)以前の時代
大阪箕面市にある箕面山瀧安寺(みのおさんりゅうあんじ)が起源とされています
当時は富突(とみつき)・富くじなどと呼ばれ、正月の元旦から7日までに参拝者が自分の名前を書いた木札を唐びつの中に入れます
それを7日に僧が長い柄のキリでついて3人の当選者を選び、選ばれた人には福運のお守りを授けたとされています
金銭が当るものではなかったものの、侍にガードマン役を依頼するほど大阪の商人に人気だったそうです
今でも瀧安寺では、正月三が日に、参拝者が円筒型の木箱から景品が当たる木札を選ぶ「富くじ」が行われています
まとめ
大阪にはまだまだたくさんの日本初が隠されてます
また次の機会に商人の町大阪ならではの雑学をお伝えしたいと思います(^^)/
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